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全国表彰の受賞者

ラジオ体操の普及に寄与した功績の顕著な個人又は団体への表彰が、株式会社かんぽ生命保険、NHK、NPO法人全国ラジオ体操連盟の三者共催で毎年実施されています。この表彰は、かつての郵政省簡易保険局が、簡易保険創業40周年、郵便年金創業30周年の記念事業の一環として昭和31年9月から府県別表彰を実施したのが始まりです。その後、同37年10月には全国・地方表彰が加わり、今日に至っているものです。

本ホームページでは、今後これらの受賞者の方々にインタビューし、エピソードを交えながら順次ご紹介していきます。(掲載は順不同)

平成28年度平成27年度平成26年度平成25年度平成24年度平成23年度

平成23年度ラジオ体操優良団体等全国表彰受賞者

平成23年度の全国表彰は9個人、6団体が受賞し、7月31日、浜松市で開かれた1000万人ラジオ体操・みんなの体操祭にあわせ同地で表彰式が行われました。

山江村役場(やまえむらやくば)さん

《熊本県球磨郡山江村》

◎静かな山々に囲まれた農山村の村役場に引き継がれるラジオ体操

山江村は熊本県の南部に位置し、のどかな田園風景と緑豊かな山々に囲まれ、人口3814人の小さな村です。

日本三大急流のひとつ球磨川の二つの支流の川が流れる自然豊かな農山村に位置する村役場では、昭和40年初めころから職員に引き継がれ40年もの長い間ラジオ体操を実施しています。

毎朝8時10分になると役場の敷地内の清掃を行い、20分になると役場の前の広場でラジオ体操が始まります。職員約70人が毎日行います。雨の日には狭い役場庁舎内で体操を行いますが、体操が済まないと毎日の仕事は始まりません。

横谷 巡村長は、「役場の職員が健康でないと『良い住民サービス』はできません。職員が自主的に自ら体操を継続的に行うことで効果が上がると信じ、村長がラジオ体操を強制したことはありません。毎朝、みんなが気持よく体操をし、気分を一新して、役場においでた住民の皆さんと『元気よく挨拶』を交わしている姿はとても頼もしい」と語ります。

◎ラジオ体操を村役場で始めたきっかけは人材教育が目的

「山江村のラジオ体操は、我が国が経済成長の前後は、村民の健康のために駅伝やバレーボール等が行われていました。村民の体操による健康維持思想が高まった結果、当時の管理職が団結と村づくりへ方向転換。また、村役場では、当時の助役がリーダーシップをとり人材教育(コミュニケーション、職場の和、辛いことへの挑戦等)の一環として強化を始めたと聞いています。一時期は、体操もダラダラとしていてまとまりがない時もありました。村の中心である役場が模範を示さないといけないとの思いから、『ラジオ体操は何のためにあるのか』『人のためではない、自分自身の健康づくりのためである』ひいては『住民サービスに繋がる』毎日のラジオ体操を止めることは簡単だけど、もう一度『続けるかどうか』を考えるように皆に投げかけました。それに職員が応えてくれ今があります。」と、村長は話しています。

◎ラジオ体操の普及に向けて公民館駐在員の研修を検討

横谷 巡村長
横谷 巡村長

各自治体が頭を痛めているのが、医療費です。山江村では中学校までは医療費無料となっていますが、高齢化率は27.8%の今、健康の問題はいつも直視しています。いつでも、どこでも、だれにでも手軽にできるラジオ体操を村民の皆さんに普及したいのですが、第1次産業が中心で60,70代が現役の山江村では、ラジオ体操の放送が始まる時間には既に多くの村民が仕事をしています。村民の方にどのようにしてラジオ体操を実施していただくかが課題のようです。

当面、16所の公民館を活用して「福祉介護予防拠点」づくりを行います。お年寄り、子どもたちが安心して集まることができるようにトイレ、段差等の改修を進めています。次は、各公民館に職員等(体育指導員、保健師、管理栄養士等)が出向きラジオ体操を普及させていきたいと、村長は力強く話されました。

【2月6日掲載分】

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大塚 美代(おおつか みよ)さん

《徳島県徳島市》

◎新居の近くの公園でラジオ体操に参加

大塚 美代さん

もう40年以上前になりますが、こどもが学齢期を迎えた頃、大塚さん一家は学校の近くに居を移しました。偶然にも、徳島中央公園の近くでした。公園では毎朝、ラジオ体操をする人々がいました。朝型の大塚さんはこれを見て、出勤前に自分もやろうと決めます。仕事は学校の教師でしたが、同業の夫君の理解を得て参加したのです。

その後、当時の郵政省の幹部指導者講習会に参加したのが縁で、昭和56年の徳島中央郵便局で開かれた講習会で講師に招かれます。「このとき以来、自分にも指導者としての責任感が芽生えた」と言います。同59年には退職し、以後は「ラジオ体操会の一員として大勢の方と朝を楽しんでいます」とのこと。

◎ラジオ体操会の運営は自然流で

会長を務める<徳島公園ラジオ体操会>の現在の会員および有志は180人ほどと大所帯。会をまとめるのに大事なことは「心地よい人間関係。いわばつかず離れずの間柄」にあるというのが大塚さんの見立てです。

「膝が痛い時があって、誰にも言いませんでした。しばらくしてある人から『普通に歩けるようになったね』と言われて、黙っていても見てくれているのだと思いました」と言うように、自然流とでもいえるような適度な人と人との距離感。べったりではなく温かいものが流れている、そんな会のあり方を大切にしているのです。

◎多くの人との出逢いこそ効用の第一

一緒に各地を車で旅行するなど仲の良かった夫君は数年前に亡くなりましたが、俳句、日本画など趣味の多い大塚さんは今も忙しく日々を過ごしています。自動車の運転こそ止めましたが自転車はいまも元気に乗りこなします。こうした活動は健康あってのことであり、それこそはラジオ体操の賜物と思っています。

一方、ラジオ体操の効用は何かと思うとき、頭をよぎるのは「色々な方と出会えたこと」。今も自分を慕ってくれる教え子、趣味で知り合った人々とともにラジオ体操の仲間が自分を支えてくれているとつくづく思うと言います。

【1月13日掲載分】

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佐野市(さのし)さん

《栃木県佐野市》

◎北関東のスポーツシティ

佐野市内での体操会風景
佐野市内での体操会風景

佐野厄除け大師、佐野ラーメンで有名な佐野市は人口12万5415人(平成21年9月1日現在)の栃木県の中堅都市です。隠れたスポーツシティでもあって、栃木県で二箇所しかないフルマラソンを毎年12月に行うほか、2月に大澤駅伝競走、4月に市民歩け歩け大会、9月に佐野市民体育祭、11月には佐野市民駅伝競走と体育関係のイベントが目白押しです。

こうした背景として、市内のスポーツレクリエーション加盟団体が30と、県内随一であるなど市民の日ごろからのスポーツ愛好があり、行政もまた、それに応えるべく各町会体育祭の奨励金を手当てするなどの後押しを行っています。

◎市長は中距離ランナーとして活躍したスポーツマン

今回、インタビューに応じていただいた市長の岡部正英さんは、市会議員時代から町おこしに力を入れ、フルマラソンの開催や佐野ラーメンの全国PRに力を入れてきました。一方、高校時代には1500メートル走で高校日本記録を樹立した経歴を有する根っからのスポーツマンでもあります。

ラジオ体操については、「小学生の頃から馴染んでいるが、スポーツ選手となってからは、準備運動として不可欠と思って取り組んできた」と言います。陸上競技の選手としては、箱根の大学駅伝出場の夢を持ちながら家の事情で中断せざるを得ませんでしたが、議員や市長になってからも毎朝6時半に佐野駅北口の城山公園でのラジオ体操を続けて来ました。

◎市民対話に生かされた全国表彰

岡部正英市長
岡部正英市長

佐野市はこれまで夏期巡回・特別巡回ラジオ体操会を3度開催しています。また、5年前から佐野市地域女性連絡協議会が中心になって〈早寝早起き朝ごはんラジオ体操朝飯会〉という催しを毎年実施しています。ラジオ体操は市内の会社、工場などでごく当たり前に取り組まれていますが、市役所でも各職場で毎朝始業前のラジオ体操が習慣になっています。今回の表彰はこうした取り組みが評価されたものです。

岡部市長は、表彰された平成23年7月から11月までの間、167町の住民を対象に毎晩7時から延べ18回開かれた〈市長を囲む懇談会〉に表彰トロフィーを持参しました。市民との対話の前に、表彰されて浜松の大会に出席した報告を行ったのです。これを機会に、さらにラジオ体操を市民に普及させようという市長の意気込みが伝わってきます。

【1月13日掲載分】

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日進電気土木株式会社(にっしんでんきどぼくかぶしきがいしゃ)さん

《沖縄県那覇市》

◎本社ビル屋上の芝生の上で

本社屋上での体操風景
本社屋上での体操風景
(後方のビルは高台にある病院)

日進電気土木株式会社の本社ビル屋上からは、那覇の港が一望できます。その屋上に張られた芝生の上で、休日を除く毎朝7時45分から社員の皆さんのラジオ体操が始まります。美味しい空気を胸いっぱいに吸いながらの体操です。

工事部の當山真幸部長は「部の大事な目標として、無事故・無災害がありますが、作業に入る前に体を柔軟にすることで怪我を防止でき、無災害にもつながります」とし、総務部の新屋太部長も「仕事に入るぞという気持ちの切り替えにラジオ体操は欠かせない」と言います。現場だけでなく、事務部門でも実際の効用あればこそ、取り組まれているのです。体操が終わればミーティング、その後はそれぞれの持ち場でいっせいに始業です。

◎体操の動作でわかる、個々の社員のその日の体調

同社はビル建設、住宅建設に欠かせない電気工事を請け負う会社です。高所作業など危険の伴う仕事もあります。社長の川満建助さんは、「体操をするときに、社員一人一人の動作や顔色を見ている」といいます。そこで、いつもと違う様子が見えたら、上司を呼んで観察を怠らないように伝えます。時には本人を呼び、具合の悪いところはないかと尋ねます。

「建設業は安全第一です。作業者が健康で軽快に動けるように常に気を配っています。ラジオ体操はその手がかりを掴む大切なバロメーターの役を担っている」のです。ちなみに同社は、本社や現場事務所にアルコール検知器を置き、毎朝、全員が検査します。「安全を心がけるのは、会社のためというより社会に対する責任」(川満社長)と考えているからで、ラジオ体操もそうしたことの延長線上にあるのです。

◎入院患者に感謝された屋上のラジオ体操

川満建助社長
川満建助社長

最近、社屋の背後にある病院(屋上の後方にたっているビル)に入院していたという方が同社を訪れました。話を伺うと、その人は入院中毎朝、病院の窓から屋上のラジオ体操をご覧になっていたそうですが、それで大変勇気づけられたというのです。

「社員の方々が芝生の上で、整然と体操される姿を見て自分も頑張らねばと思った。この度は無事退院できたのでお礼に伺った」と言われたそうです。予期せぬ社会貢献ができたと社員一同が感激したのは言うまでもありません。

【12月27日掲載分】

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小堀 義矩(こぼり よしのり)さん

《東京都江東区》

◎きっかけは子供の健康のため

小堀 義矩さん

小堀さんがラジオ体操に取り組み始めたきっかけは、当時2,3歳だった下の子供が小児喘息を患ったことでした。なんとか、元気になってほしいと一家4人で体操会場へ通うようになったのです。昭和45年ごろでした。会場は江東区に古くからあった八名川公園。子供たちはまだ小さく、体操をきっちりやるとまではいきませんでしたが、毎朝、きれいな空気を吸い、会場までの往復を歩くだけでも、子供の健康にプラスになると考えたのでした。

その後は、毎朝のラジオ体操が習慣となり、転居して近くに会場がなければ自ら立ち上げるようになりました。東京都連盟の講習会に参加するなどで指導者としての自覚もでき、以来、ラジオ体操の指導と普及に汗を流してきました。これまでに清澄公園、木場公園、深川公園の3箇所でラジオ体操会の立ち上げを行っています。

◎江東区民ラジオ体操大会や指導者講習会で普及に努める

小堀さんが会長を務める江東区ラジオ体操連盟では、現在、毎年6月に2回の指導者講習会を開き、また7月の<海の日>には1000人規模の江東区民ラジオ体操大会を開いています。指導者講習の1回目は青山敏彦先生(元NHKテレビ・ラジオ体操指導者)を招き、2回目は小堀さんを中心とする地元の指導者がそれぞれ指導しています。そうして7月のラジオ体操大会では、江東区民報に広告を出すなどで広く区民に参加を呼びかけます。

江東区ラジオ体操連盟には、現在、14の体操会が参加していますが、小堀さんは「近くの墨田区や葛飾区に比べると、まだ伸びる余地は大きいのではないか」と考えています。

◎普及拡大が期待される江東区

江東区は埋立地の開発やマンション建設で現在も人口が伸び続けている地域です。新住民は若い人が多く、活気があります。小堀さんは、区民報を見て体操大会に参加してくる人や、講習会に顔を出す新人などにできるだけ声を掛けるようにしています。日ごろ、どの会場に行っているのか、近くに新しくはじめた体操会場はあるかなどを聞き、指導者の派遣をしたいと考えています。

「現在1000人の体操大会を1500人程度まで増やし、普及にはずみをつけたい」と意欲を燃やしています。少子高齢化と人口縮小の時代にあって、得がたい好条件を持つ地域であり、これを生かさない手はないと思っているのです。

【12月13日掲載分】

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布引みはらし登山ラジオ体操会(ぬのびきみはらしとざんらじおたいそうかい)さん

《兵庫県神戸市》

◎山へ登ってラジオ体操する喜び

見晴らし台にある体操会場
見晴らし台にある体操会場

神戸は維新後早くから外国人が多く住んだ土地として知られています。登山を習慣とする外国人にならい、日本人の間にも登山する人が増えました。大正11年には、神戸愛山協会の加盟団体は100あったそうです。布引みはらし登山ラジオ体操会は昭和22年に生れた<布引みはらし登山会>を母体として、昭和36年8月に設立されました。

会長の石田順久さん、副会長の吉野宏さんらは、海抜190mの布引みはらし台まで、およそ25分かけて神戸の街中から毎日登り、そこでラジオ体操をします。毎朝4時40分には家を出て5時前後に到着、体操の始まる6時半まで会場の掃除をしたり周囲を散歩したりで過ごすと言います。雨の日は塔屋の屋根の下で行うことにしており、年中無休会場です。

◎朝日を拝む心地よさ

毎朝山を登るのはある種の苦行とも言えます。まして、冬場は真っ暗なうちに家を出て、下界より冷たい頂きで寒さに耐えねばなりません。吉野さんは「入会して一冬越えられた人は長続きしますが、越えられなかった方は多くが退会されます」と厳しさを認めています。

一方で、早朝の清涼な空気、見晴らしの良さに惚れ込んで通う人も少なくありません。11月の半ばにかけては体操の最中に朝日が昇ります。「体操を中断して、日の出に見入ってしまうこともしばしばです」と石田さんは笑います。

◎山登りの準備運動はラジオ体操

石田さん(左)と吉野さん
石田さん(左)と吉野さん

最近は<山ガール>といった流行語が生れるほど一寸した登山ブームとなっています。神戸でも土日ともなれば、多くの若い人が山を訪れます。市内で二番目に人気があると言われる摩耶山の途中にある布引みはらし台も、それらの人で埋まることもあるとか。

若い頃から長年にわたって様々な登山体験を持つ石田さん、吉野さんはラジオ体操が山登りの準備運動にも最適であることを若い人にも是非知って欲しいと言います。「ラジオ体操はやわらかく体をほぐしてくれるので、ストレッチとは違ったよさがある」のです。吉野さんは「自分の経験からすると、準備運動はラジオ体操、ストレッチは下山してからやるのが良い」としています。

石田さんに吉野さん、お二人とも既に60代の半ばを越えておられますが、写真の通りの若々しさです。ラジオ体操と登山の相乗効果の表れでしょうか。

【11月30日掲載分】

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植松 正弘(うえまつ まさひろ)さん

《三重県四日市市》

◎ラジオ体操会は地域の交流を第一に

植松 正弘さん
竹の棒で体を伸ばす

植松さんは小学生に上がる前、6歳の時、大病を患い、本当はもう死んでいても不思議ではなかったそうです。お母さんと看護婦さんの必死の看病で、新しい命を授かったと信じています。

ある年の運動会で、担任の先生からラジオ体操が上手であると褒められました。好奇心旺盛な植松少年は、褒められたことに大いに気を良くし、以後ラジオ体操に真剣に取り組むようになります。

大人になって自動車関連の工場に就職してからは、職場での指導に加えて家では近所の子供たちを集めて教えていました。平成4年に四日市市ラジオ体操連盟が発足しましたが、翌年には指導者として参加すると共に、「八郷西ラジオ体操会」を夫人と一緒に立ち上げています。

この体操会の特徴は参加者全員の出席簿を毎日付けていることです。出席した人が自分で○をつけるのですが、これが励みになるとともに、地域のコミニュケーションを深める手立てにもなります。「来なかった人を風邪でも引いたかなと思いやる心が生れる」と言います。正月三が日は、夫人の手作りで来場者に甘酒が振舞われますが、地域の恒例としてこの日ばかりはいつもに倍する人々が集まるとか。

◎里山保全活動でつかんだ練習法のヒント

体操会ではコミュニケーションを第一に、技術的な指導は控えめにしている植松さんですが、自身では毎日の鍛錬を欠かしません。それは、植松流の竹棒を使った練習です。手作りの長短の竹棒を用意し、両手で掴んで腕を伸ばしたり体をひねったり、屈んだりを繰り返します。植松さんによると、自分では例えば脇腹を伸ばしているつもりでも、実は伸びていないことが竹棒を使うと良く分かるというのです。

竹棒を使うようになったきっかけは、植松さんが参加しているNPO法人の里山保全活動でした。余分な木を伐採する間伐や、放って置くとどこまでも広がる竹林を伐ったりするのですが、そうした山の作業をする中で木の根を掴んだり、枝にぶら下がったりするうちにヒントを得たのです。

◎4500人を集めた<市制100周年記念ラジオ体操の集い>

平成9年に四日市ドームで行われた四日市市制100周年記念<四日市市民ラジオ体操の集い>は植松さんが実行委員長でした。当初、NHKの放送される巡回ラジオ体操会として計画されたものでしたが、それが出来ないことになり、植松さんに人集めの重圧がかかることとなりました。植松さんの手元に残るその年の4月から8月までのスケジュール表には、毎日の訪問先がぎっしりと書き込まれています。会社、団体、婦人会、PTAとあらゆる所を回って参加を呼びかけたのです。

「初めのうちは、断られることが多かったのですが、何度も通ううちに相手が根負けして承諾してくれました」と笑う植松さんですが、その時は毎日出勤する仕事を続けていては出来ないと、自動車関連の工場勤めを辞めたほどでした。

「多くの人にラジオ体操を通じての健康づくりに気づいてもらえた。あるいは、そのきっかけになったと思っています」このとき感じた確信が、今も大きな心の財産になっています。

【11月30日掲載分】

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土田 隆(つちだ たかし)さん

《秋田県秋田市》

◎のめり込むきっかけは指導者講習会への参加

土田 隆さん

昭和43年、秋田市では市教育委員会、NHK、秋田市体操会の三者がラジオ体操の普及を目的に、夏休み前の小学生ラジオ体操会の取り組みを始めています。このことをきっかけに、同47年になって秋田市民ラジオ体操友の会が誕生し、小学生だけでなく広く社会人一般にラジオ体操を普及しょうという活動が始まりました。土田さんが当時の郵政省が主催する指導者講習会に参加したのは丁度このころ。昭和44年、40歳の時でした。

友の会が結成され、まとまった指導者が必要となったことで、講習会経験者の土田さんは参加の呼びかけを受けます。現場の国鉄職員として、日ごろから職場での体操などに馴染みがあったこともあり、申し出を受けてこの時から指導者への歩みを始めました。

◎絵画の趣味を続けられたのもラジオ体操のおかげ

仕事は夜勤も少なくなかったのですが、逆に土日ばかりでなくウィークデーでも指導に出かけることが出来ました。指導は@公民館などでの巡回指導A様々な職場からの要請による訪問指導B小学生への指導とほぼ3種類の活動がありました。

こうして休日の多くの時間をラジオ体操に割いてきた土田さんですが、実は趣味は多彩です。マラソン大会に出場したり、スポーツ少年団で野球の指導もしてきました。かとおもえば絵画では院展に入選、院友の肩書きも持っています。東京から画商が尋ねてくるといいますから素人の域を超えています。

「絵画はラジオ体操と同じくらい昔から一生懸命取り組んできました。この二つは無縁かというとそうではなく、ラジオ体操をやってきたから今でも長時間にわたって絵を描く体力を維持できている」と思っています。

◎年に一度の巡回体操会で結束固め

秋田県では、かつての郵政省主催の幹部指導者講習会に参加した人々を集め、毎年夏の巡回体操会の前日に会合を持っています。昭和55年から実施していますが、この間、平成5年に湯沢市で行われた巡回体操会の集まりでは秋田県幹部指導者の会を発足しています。「平成17年からの認定試験で指導者となった人々にも近くよびかけて合流したい」(大島新助秋田県ラジオ体操連盟会長)との構想もあります。

土田さんは、時には100人近く集まるこの会のまとめ役の一人ですが、毎年楽しみにしていると言います。

「情報交流と結束固めの良い機会であり、今後も秋田県のラジオ体操普及に大事な会」だからです。

【11月30日掲載分】

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岩佐 良子(いわさ よしこ)さん

《福井県福井市》

◎365日無休会場を運営する

岩佐 良子さん

岩佐良子さんが平成元年に発起人の一人となって立ち上げ、現在も運営する<啓蒙365体操会>はその名のとおり年中無休の体操会場です。天気の良い日は小学校の校庭で、雨の日は体育館1階の駐車場(11月から3月までは体育館に入る)で毎朝6時半から開始です。ラジオ体操第一、第二にみんなの体操、さらには健康体操も加えて20分間きっちり行います。

岩佐さんはボランティアで同小学校の体育館の管理を任されており、そうした好条件もあって無休会場が実現しました。毎朝、勤めに出る夫の弁当と朝食を用意して家を6時に出ます。「夫と朝食をともにしたことは何年もないです」と笑いますが、夫婦の協力あっての賜物です。

◎精力的な活動を影で支える夫君

若い頃は器械体操でインターハイに出たこともある岩佐さんは、バドミントン、バレーなど家庭婦人のクラブなどの経験があり、福井市の体育指導委員、啓蒙地区体育振興会副会長も務めます。福井市内各地区でのラジオ体操指導、老人会やデイケアセンターの訪問のほか、企業からラジオ体操指導の要請が来ることもあります。何所へでもマイカーで出かけますが、運転はきまって夫君の文夫さん。嫌な顔一つせずアッシー君を務めてくれます。

その文夫さんが、平成23年11月に勤め先を69歳で定年となりました。「これからは、朝のラジオ体操も一緒にできます」とますます張り切る岩佐さんです。

◎ラジオ体操の効用は健康ばかりではない

岩佐さんは随分以前から夫君と一緒の山登りを続けています。10年位前になりますが、山道の途中にある岩で膝を打つ怪我をしました。傷口に菌が入ったらしく山を下りてから化膿して一週間入院しました。ギブスがとれてから自分でリハビリに励みましたが、このときつくづくとラジオ体操の効用を感じたそうです。直り方が他の人より早かったと思いました。「全身運動で血液の循環を良くした」からでした。

一方、岩佐さんの体操会ではラジオ体操の効用に関して参加者のアンケートをとったことがあります。それによると多かったのが「季節感を感じられることと規則正しい生活が送れること」との答えでした。岩佐さんは「ラジオ体操の効用は健康ばかりではない」ことを強く感じたと言います。

【11月30日掲載分】

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平出 末子(ひらいで すえこ)さん

《長野県諏訪郡下諏訪町北高木》

◎体操会誕生のきっかけは、ラジオ体操全国表彰のテレビ放送

平出 末子さん

平出さんは定年後の講師時代も含め、一線を引かれた昨年まで、55年間にわたって小中学校における保健体育、音楽の教師を務めてこられました。ラジオ体操には幼稚園児の時に出会っていますが、体育教師となったことで結びつきが強まります。

教育委員会から体育指導員を任命され、社会体育活動に何を取り上げるか考えていた時、偶然目にしたのがテレビに映った「ラジオ体操全国表彰の表彰式」でした。「社会体育活動として、生涯体育として手軽にできる。これだと思った」そうです。早速、体育指導委員会に提案し承認され、勤務している下諏訪中学校の校庭で毎朝6時半からラジオに合わせて始めました。下諏訪町でのラジオ体操会場第一号の誕生でした。

◎仲間が増えるラジオ体操

この頃、盛んだったのは早朝野球です。毎朝、4時ごろから練習や試合を始めていました。校庭の四隅で試合を行う早朝野球の人たちと場所が重なって困ったことがありました。ところが、そのうち誰言うともなく、6時半からのラジオ体操の時間は、ラジオ体操を皆でやれば良いということになり、野球の人たちもラジオ体操をともに行う仲間となりました。

「80人近くいた野球の人たちが加わって、一挙に100人を超す大会場となり、壮観でした。」ラジオ体操の汎用性が実証された場面でした。

平出さんは、早朝、夕方など授業以外の時間もママさんバレー、ソフトボール、ラジオ体操の指導者として過ごしてきました。どのスポーツも仲間とのふれあいが楽しみですが、「ラジオ体操は朝のわずか15分間の出会いで、それができることが一番の効用」と思っています。後に南小学校の校庭を会場とする体操会の仲間ではじめた「南小会」は高齢者施設を訪問するボランティア活動や掃除の奉仕などを通じて地域との関わりを強めて頼りにされる存在になっています。

◎下諏訪で夏期巡回を実現したい

昨年、第一線を引かれた平出さんですが、精力的な活動ぶりは変わりません。高齢者施設を訪問して、童謡を歌ったり、健康体操をしたりといった活動のほかに、今年の夏休み前には、小学校の先生やPTA役員を対象とする「ラジオ体操出前教室」を開きました。例年、夏休み前には子供たちの水の事故に備えて人工呼吸の教室が開かれますが、これに自ら提案してセットで行うこととしたのです。

ラジオ体操は、工場や建設現場で安全対策の一環として取り組まれています。この考え方を児童の事故防止にも適用したわけです。

下諏訪中学で体操会が始められて今年で47年。3年後には50周年を迎えます。夏期巡回を呼んで町おこしにも貢献したいというのが、目下の平出さんの目標となっています。

【11月1日掲載分】

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八広公園ラジオ体操会(やひろこうえんらじおたいそうかい)さん

《東京都墨田区東向島6丁目》

◎下町の年中無休会場

八広公園の体操風景
八広公園の体操風景

八広公園ラジオ体操会は参加者が常時100人近いという規模です。毎朝午前6時25分からミニディスクに録音した「みんなの体操」が流れ、6時半からはラジオに切り替えて第1、第2を行います。

認定1級指導士1名、2級指導士3名など8名の指導スタッフを擁しています。指導スタッフは、毎月、都連盟が開催する錦糸町の指導者講習会に参加、「自己流を戒め、常に研鑽する」ことで他の参加者の良き模範となっています。

夏休みになると子供たちが加わり、とても賑やかになります。いつも夏休み前には、周辺の自治会、町会の代表が集まって、精励賞、参加賞などの賞品を決めますが、こうした下町らしい習慣を今も変えていません。

体操前の公園近辺の掃除、あるいは、12月1日から10日まで恒例になっている歳末助け合い運動への会ぐるみの参加など、地域のコミュニティを大事にした活動を続けています。

◎公園の清掃から始まった

体操会を立ち上げたのは、現在も代表を務める志賀久蔵さんです。30年前、家の前に公園が出来たのを見て、毎朝一人で掃除を始めました。掃除の間、ラジオをつけていたことから、どうせならと自己流のラジオ体操を行う習慣がつきました。

すぐに近所の方々も加わって人の輪が広がりました。ところが、2年くらいたって、ある人から「体操をやる以上は、正しい方法を学んではどうか」とアドバイスを受けます。自分でも多少の自覚があったせいか、それから墨田区連盟の講習会へ出るようになり、実技の厳しい指導で知られる馬場保さん(元NHKラジオ体操指導者)などの講師から厳しく鍛えられました。志賀さんのこうした経験は、今も会の指導面で生かされているようです。

◎大切な地域のコミュニケーションづくりを

志賀さんを真ん中に指導者のみなさん
志賀さんを真ん中に指導者のみなさん

八広公園では、始まる前から集まった近所の人たちとの間で、楽しい会話が持たれます。時々、入れ替わりはあっても多くの人が昔からの馴染みのメンバーだけに、話題も豊富。「おはよう○○さん」で始まる毎朝の会話は、その後の体操とあいまって一日の始まりに欠かせないものとなっています。

ある時、近くの住民から、音量のことでクレームが届いたことがありました。会では、当の住民に直接会って、丁寧に相手の話を聞き、音量に気配りすることで理解を得る事が出来たと言います。

何事もざっくばらんで気の置けない付き合いの一方、要点を押さえた会の運営がこの体操会の魅力と見えました。

【10月26日掲載分】

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齊藤 健次(さいとう けんじ)さん

《帯広市南町東1条》

◎現場に息づく指導者スピリット

齊藤 健次さん

齊藤さんは、北海道帯広市で小学校教員を務めるかたわら、ラジオ体操指導者としての活動を昭和36年から休むことなく続けられて、今日を迎えられました。平成14年に十勝地区ラジオ体操連盟副会長、同19年には北海道ラジオ体操連盟理事にも就任されています。

教頭、校長といった激務にあっても休むことなく続けられた活動は「地方公務員として、血税をいただいてきた。本職以外にも何らかの地域貢献をすべき」との強い使命感に支えられています。

75歳の今も、介護施設などでみんなの体操を指導するときには、集まった高齢者に如何に分かりやすく理解してもらうかに心をくだきます。「最初の運動は指がしっかり伸びて、いつまでも自分のことは自分でできるように行います」といった具合です。

◎減量成功もラジオ体操のおかげ

ラジオ体操の指導を続ける中で、齊藤さんが熱心に取り組んだことの一つが指導者の育成です。学校の仲間、一般の主婦もいる指導者講習会参加者など現在では10名を越す顔ぶれが十勝地区に揃いました。「指導者を育てるのは大変だが、継続的にやっておかないと組織がつぶれる」との先輩の教えを忠実に実行してきたのです。このことは、本業の場でも教頭になったときに、役に立ったそうです。

ラジオ体操そのものの効用では、5年前に医者に言われて10キロの減量に挑んだとき、体力を落とすことなく100日で成功したことを上げています。「子供たちに良い姿勢、良い姿勢と言い続けてきましたが、自分も体幹が真っ直ぐだったからこそうまく行ったと思っている」のです。

◎農家への普及をライフワークに

十勝地区は北海道特有の広大な農地が広がるところです。「土地に合わせて人柄も大らか」と言われているように豊かな地域です。しかし、一方で近年、世帯数が減り、人口減少につながっています。ラジオ体操会活動にとっても逆風ですが、齊藤さんは、「農家にこそラジオ体操を普及しなければ」と考えています。

体力が必要なばかりでなく、とくに腰や膝などに負担のかかる農作業にあっては、ラジオ体操の普及で腰の曲がりなどを改善できるからです。

「男性はトラクタを運転したり、背すじを伸ばして仕事をすることも多いが、婦人の場合、どうしても屈んでの作業が多くなる。だから、せめて40代くらいからラジオ体操に真剣に取り組んでくれれば、効果がでるはず」と見ているのです。農村部への普及を如何に進めるか、齊藤さんの手腕に期待がかかります。

【10月26日掲載分】

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小田切 義明(おだぎり よしあき)さん

《山梨県甲府市西田町》

◎ラジオ体操競技でトップに

小田切 義明さん
1000万人浜松会場へ揃いのシャツで集合
右から2番目が義明さん

山梨県の市民体育大会にはラジオ体操第一、第二の体操コンクールがあります。1チーム6人で編成され、揃って体操を行い、動作の正確さ、美しさなどを競います。小田切さんの率いる相川地区チームは山梨県民体育大会、甲府市民体育大会でそれぞれ連続26連覇しています。

大会の採点は、器械体操などの国際審判員の資格をもつ審判団が10点満点の減点法で、厳密に審査します。踵の動き一つ間違えてもマイナスと言った具合に細かくチェックを入れますから、手抜きは許されません。

相川地区チームも「大会前には2時間の練習を8回はやる」そうです。その上、競技中にテープが止まった場合を想定、わざと中途で止めてそれでも一糸乱れぬ動きを続ける練習メニューまで用意する念の入れようです。

◎日ごろは指導に汗を流す

競技に参加する体操チームは、日ごろは地区の体操会、運動会その他の機会に指導者として活躍します。小田切さんは「ラジオ体操競技というと、本来のあり方と違うと言う意見もあるでしょう」としつつも、「競技とすることで鍛えられる部分は少なくない」と考えています。それでこそ底辺が広がるとの思いです。「最近も地区運動会のラジオ体操の最中に機械トラブルで音楽が止まったことがあったのですが、チームの指導員はそのまま整然と指導を続け、つられて参加者も終わるまで音楽無しで行いました。終わったときは参加者から熱い拍手を浴びました。やはり美しいものは感動を呼びます」と言います。

◎一家で体操に取り組む

小田切さんの一家はスポーツ家族です。バトミントンや野球など好きなスポーツに汗を流しますが、体操競技に熱中する父親はもとより、ラジオ体操への思いも一通りではありません。平成23年夏、静岡県浜松市で行われた第50回1000万人ラジオ体操祭には、小田切家特製の揃いのTシャツを着て参加しました。「雨の中でしたが、家中で楽しんできました。良い思い出になりました」と言う小田切さん。正しい体操を広めたい、それには体操競技の全国大会の実現を望むとのことでした。

【10月26日掲載分】

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